自己紹介

自分の写真
1970年代初期に渡米。フードテクノロジー&マネージメントを 大学で専攻。その後、サンフランシスコ、ベイエリア、南カリフォ ルニアを中心として外食産業に従事する。和食レストラン、カフェ などを経営した実績もある。2000年前後からカリフォルニアワ インの魅力にとり憑かれワイナリー訪問を開始。数年前パリスの審 判との出会いからより一層カリフォルニアワインへの思い入れに拍 車が掛かりワイン三昧の日々。 アメリカに於ける集大成の一環としてナパバレーを皮切りにカリフ ォルニア ワイナリーを網羅するプロジェクトを進行中です。お楽しみに!!

2011年5月2日月曜日

米国赤十字社への不信感

私は以前からRed Crossにある種の不信感を抱いていました。

ロスアンゼルスで108年の歴史のある日系新聞”羅府新報”のコラムに次の様な記事が掲載されていました。米 国赤十字社への不信感 と言うタイトルで、抜粋して見ました。

近年のハイテクノロジーにより、ニュースは驚く べき速さで世界を巡り、日本を襲った地震や津波の被災者に対して並々ならぬ同情がが寄せられ、世界各地で” 日本を助けよう”と募金活動が始まった問題はその義援金がどのような経路でどの程度被災者に届けられるか、で ある。

シカゴの勤務先の管理職は即日迷うことなく米国赤十字社経由で国際赤十字社宛に送金することを決 定したが、集められた義援金の9%はボランティアを被災地に送ったり、その他の管理経費として差し引かれ、残 額が日本赤十字社の口座に振り込まれると言う説明を受けた。

ところが寄付金は米国赤十字社を通すというこ とを伝えた途端に、”米国赤十字社以外の団体を希望するので。。。”と寄付を拒む人が一人や二人ではなかっ た。

過去において、基金が管理職のボーナスやバケーションの費用に使われたスキャンダルを人々は忘れておらず、 多くの市民が同社の経営管理に不信感を抱いていることがわかる。

そして在郷軍人など軍隊経験のある人々に米 国赤十字社への拒絶反応が多いのはどういうわけだろう。

1864年、戦場の傷病兵を敵味方無く看護する目 的で設立された赤十字社は世界平和の護符、水戸黄門の葵の御紋だと思っていたのだが。。。

その上、友人が米 国赤十字社のサイトで、災害地に送られる義援金に枠を定めて、一定額を超えた時点で寄付金が同社の備蓄金と なり、次の災害の為の備えとなる、という一項を見つけて連絡をくれた。

私達は日本を助けたくて募金活動 を続けているのに、一定額を超えたらその後はすべて備蓄金になるのは納得がいかない”と彼女は憤まんやる方ない。

確かハイチの災害に寄せられた寄付金は三分の一が被災地に送られたが、残りはどうなったのかはっきりしないという。

手元に届けられた小切手を目の前にして、”果たしてこの善意が無事被災者に届き、復興の 助けになるのだろうか”と不信感が生まれ、いささかもやもやした気持ちで募金活動を続けている。

0 件のコメント:

コメントを投稿